「強制終了は最高な物語の始まり」と聞く。
本当によくそれを説く人が多い。
人生に苦しみ(虐待や離婚や不当解雇や詐欺や死別や事件事故など)がないことが幸せなことだと、みんな思っている。というかそんなもん当たり前である。
不幸なことに誰だって遭遇したくない。
でも大変なことは、「大きく」「変わる」と日本語で書く。
抗えない大変なことに見舞われる時、その先に前向きなビッグチェンジがあるはずだ。
どんなことも起きる事象に意味づけをするのは私たち側であり、一瞬後のことは過去になり続ける中で、そこに自分に対するどんなレッスンがあって、今そしてこれからどうなっていきたいかを人生から大きく問われている機会であると思う。
「強制終了は最高な物語の始まり」
これを言う誰もが、現在最高な活躍をしているから。
多くの人が、このヒーリングクライシスを経験して、本来の自分が生きるべき道を辿り直す。
前回のブログで2年前の今頃苦しんでいたと書いた。
ただそれは、蓄積していたことが目に見えて崩れ始めた時期であり、私にとってはその後も継続して苦しかった。その理由はやっぱり、「真理である」と信じていることに対しての愛と正義が、人々(特に自分より年上の人々)の行動や言動からずっとずっと今もなお、見れなかったからだと思う。
信じていたからこそ、誠実さのない異常さに何度も何度も落胆した。
そしてこの経験から、信じることが望むときに現象化しなくても、それは必ず別の事象やタイミングで、現れるのだということを究極的に学んでいる。
私の尊敬する絵の先生が、めちゃくちゃに多忙にも関わらず時間を作り、当時初めて食事に連れ出してくれた。
「こう言う時こそ祭りだよ。祝杯をあげよう。大抵ね、影響力のある人、そして人間力のある人は騙されたり苦しい経験をしてるんだよね。苦労のない平坦な人生が幸せなわけではないんだよ。
さとみん、おめでとう!選ばれたんだよ。そんなこと普通だと経験しないんだから。だからその経験に胸を張って感謝する日が来るよ。それがバネだから。俺はね、何百万円って騙されたことがある。けど、お金で騙されるより、信じている人から信じていることを利用して裏切られることの方がつらいよね。それって一番つらいよ。
でもやっと自由になったってことだ。自由になるっていうのは自分を生きるってこと。さとみんが生まれる前に決めてきた最高な人生を生きるためにこうなったんだよ。これ以上の底はないから、大丈夫。全ての経験が作品に生きるから。それは、誰も盗めないし真似できない。人の魅力って出ちゃうものだから。それこそが本物だ。本物は、偽物はもちろん、計算や演出だって常に上回る。おめでとう!」
この言葉もあの時間も、一生忘れない。
そして、これだけ真っ直ぐに私を励ますことができる先生は、底も知りつつ、本物としてトップを走り続けているから力強く断言できるのだと思った。
諭すことや共感することや慰めること以上に、私に対する愛と尊敬を持って徹底的に励ましてくれた。
そして何より、これを豪語できる経験と実績のある先生に出会えた自分はどれほど恵まれているのかと思う。
そして私はノートにこう書いた。
「自分の人生を建て直す。
私のために全てのことが起きている。
私は正しい道の上にいる。今、最善に向かってる。」
そんなことは1ミリも思えなかったけれど…。
何度も何度も、泣いてる自分に呪文のように言い聞かせた。
そして、福音を信じてから封印してきた、けれど自分が当たり前に信じて実行してきたことを取り戻そうと思った。
ただただ、自分のために。
周囲の人が言った。「その経験が必ずいきるよ。誰かの力になるよ」と。
それを言われる度にすごくイライラした。
「他人事だから言えるんだわ。どんだけ痛いと思ってんだよ。よくある一般論と一緒にして美談にするな。誰かのため?これまでもずっと誰かのためにやってきたのに。なんで私がこんなに苦しむ必要があるんだよ」と。
2年経って今思う。
今の私にだからこそ、出来ることがある。
私だからこそ伝えられることに溢れてる。
私も人を心底励ます存在になろう。
全部、伏線回収していくんだ、と。
前述のブログに「教えてくれるな」と書いた。
私たちの本来は、みんなもうちゃんと知っているから。
私は自分を肯定し、信頼し、見本となって励ましてくれる存在の大きさを身にしみて実感している。
それは社会の中で、評論家ではなく常に主体的に実践家として生きるということ。
そしてこれこそが、私の髄にあるメンタリングマネジメントやサーバントリーダーの本質であるとすごく腑に落ちている。
2025年は、今の私に出来ることを、徹底してやっていく。
そしてそれはもう、始まっている…!!