Monja boost 27days

※アイキャッチの写真は、私がお店で焼いたお好み焼きです♡↑

前回のブログで月島に滞在していたと書いた。
月島といえば…もんじゃ!ということで、
私はどうしてももんじゃ屋さんで働いてみたいと思った。

この話を友人にすると、
「え。もっといい仕事あるでしょ」
「絵描いた方が稼げるよ」って思った友人は沢山いたと思う。
なぜなら、実際にそれを言葉にして伝えてくれた友人は何人もいたから。

でも私、閃いてしまった。
「もんじゃ屋で働いたらなんか元気が出る気がする!」と。
すごくシンプルに。

日本に帰国した後、「帰ったらやらなきゃ、やりたいと思っていたことに取り組まなきゃいけない」という強迫観念がずっとあった。
3ヶ月間アメリカで素晴らしい出会いと経験をしたのだから、ちゃんとその成果を出し続けなきゃ、みたいな。
応援してくださってきた人たちに私の成長を感じてもらって恩返ししなくちゃ、みたいな。(はっきりとこう認識していたわけではなく、言語化するとこう感じていた。)

でもリターン(リバース)カルチャーショックというものを再度認識して、
自然と出てくる焦りや、苦しかった過去の日常に戻るような恐怖を感じてそこから回避したいと思うことは、脳の構造上当たり前なことなのだと整理することができた。
そしてそこに時間をかけることはタイムロスではなく、必要で大切なことなのだ、と。

で、上記の影響で私は無気力で元気が出なかった。
私を押し上げてくれるきっかけを探していた。

色々な友人たちが励ましてくれてありがたかった。
でも、、、

私と何の縁もないもんじゃ屋さんで、私は予想以上に元気を取り戻した。
私のことを何も誰も知らない人たちと、
私自身も誰も知らない人たちの中で働くことはすごく新鮮で、新しい風を感じた。
まっさらな自分として新しいことを学べることや、教えていただけることがすごく嬉しかった。

面接の時に「鈴木さんはいいキャリアがあるのに、なぜうちで働きたいですか?」と聞かれた。
上手い表現が出てこず、咄嗟に出てきた言葉は、こうだった。
「気晴らしというか、気分転換に。ブースターが欲しいと思ったからです。」
我ながら、正直すぎるし自分勝手すぎるし、失礼で相手からしたら意味不明な返事である。
今、飲食業はどこも人手不足で誰でもいいから雇いたいということが前提なのだけど、
こんなふざけた返答をしたのに、その店は私を即採用した。

1テーブルごとに、一品ごとに、鉄板を回ってもんじゃやお好み焼き、デザートを含む他の1品料理を焼いていく。
Googleの評価は4.9(満点が5なので、高評価すごい)で、もんのすごく忙しい店で、週末はもんじゃを食べるためにお客様は1時間以上も行列を作る。入店後も、焼いてもらうのを待つ。(どんだけ待つんじゃい)
忙し過ぎて、仕事に入るたび、あっという間に時間が過ぎていった。
焼き時間にお客様とする会話も、スタッフのみんなとの会話も、新鮮ですごく楽しかった。
私は英語を話すということで、海外のお客様に喜んでいただくことも多かった。
ドイツ、スペイン、スイス、ポルトガル、アルゼンチン、イタリア、フランス、香港、台湾、中国、韓国、アメリカ。
ものすごい短い期間しか働かなかったにもかかわらず、こんなにも多くの海外からのお客様に出会った。
日本に複数回来ている人たち、そして必ずまた日本に来たいと言ってくれていた方々だった。彼らは日本特有の親切なおもてなしに驚いていた。
鉄板焼き屋って、フレンドリーで活気があるせいか日本人のお客様も陽気で、
外国人を含めて「連絡してね」と連絡先をくれた人は、1人や2人じゃなかった。

同時に、働く人たちも非常に興味深かった。

ある飲食店を起業し、取材が絶えない有名店になったがバーンアウトをして
現在もんじゃ屋でリハビリ中の仕事が出来すぎる人。(リハビリ中と言いつつ、めちゃくちゃ働いてる)
めちゃくちゃに仕事が早く威勢のいい、「美容部員ですか?」ってくらいな美人。
「さとみん、今日もめっちゃ可愛い」と言ってくれる、お客様人気ナンバーワンの18歳男子。
とにかく忠実に働く女子たちと世渡り上手な男子たち。
「Z世代って、みんな和やかで優しいな〜気が合うな〜いいな〜」とすごく思った。(おこがましい。笑)

そしてご褒美だったことは、若者から「俺将来、さとみさんみたいにピュアさを大切にしつつ強くて優しい人になりたい」と言ってもらえこと、
「痛みを知ってるからこそ、人の気持ちがわかる、想像力のある人だ」と言ってもらえたことは、
無気力だった私を大いに励まし、出会いの中に宝があることを再度教えてくれた。
と同時に、こんな思いを素直に言語化して相手に伝えることのできる若者、最高に素敵だなと敬服した。

持ち前の好奇心(?…自覚は薄いが、私は周囲の人曰く好奇心が人並み以上に強いらい)で始めたもんじゃ屋さん。最初から短期の予定だったけど、27日間しか働かなかった。(「やめないで」と言うことで、2月末まで籍は残ってる…ありがたや…)
しかし、私が得たことはものすごく大きかった。
ここからの教訓は、
・職業に基線なし。
どんな仕事も感謝と喜びを持って働けば必ず最高の結果を得る。それは金銭的な豊かさだけではなく、人生に充足感を与えてくれる。この概念は私の仕事における基盤であり、豊かに生きることの原点であると信じている。(逆を言えば、感謝と喜びがなくなってきたら方向転換しないと老ける要因になる。経験の教訓。)飲食店だから、金融業だから、起業してるから、契約社員だから、正社員だから、、、とその後に続く言葉は自分の思い込みであってそれがいわゆる社会通念ではない。そしてますます時代は、ステイタスより生き方重視で柔軟思考になっていくと思う。このことを再度認識した。

・直感に従ってすぐ行動すること。
私の2024年のテーマと目標は「受け取ること」「自分を取り戻すこと」だった。これは私が最優先にしたいと思っていたことだ。
コストパフォーマンス(費用対効果)で考えたら、大学生にとってはいい仕事であろうが、私のようにある程度経歴のある人にとっては、飲食店で時間を切り売りするのはいい選択とはいえないかもしれない。
けれども、人生で得る「豊かさ」を「お金」に換算するのではなく、どう過ごすかという「時間」に換算した時、私の選択は間違えていなかったと思う。私のテーマ設定がRASをかけて、それを達成するために必要な情報や機会を与えてくれたと思っている。
そして直感でやって来たもんじゃ屋さんで働くというアイディアは、ブーストを得るという意味では想像以上の最善だった。

・視点を海外から見た日本、に。
これはこのお店で働いたからだけではなく、東京の主要駅に出ると「ここどこの国?」ってくらい、外国人が多い。本当に外国人が多い。大袈裟ではなく日本人より外国人の方が多くない?と思う。
私はこのことから、一つ閃きが来ていて、これは次に取り組む私の好奇心だと思っている。直感でやって来たことはやらなきゃなので、早く取り組みたい。いや、やる。

・人生には旬というものがある。
私は日本特有の美しさとは何かと聞かれたら、真っ先にいつも答えるのが「四季」である。
食でも温泉でもおもてなし文化でもない。独特な四季と複数の気候があってこそその上に成り立つ日本の美が様々にあるからだ。四季にはいずれも様々な、旬がある。
旬を英語にするとin seasonとか出てきて、意味不明である。
つまり旬は日本特有の言葉なのだと思う。その時にしか味わえない、その短い期間にしか出会えない、楽しめない、そんな意味を象徴する言葉だと思う。このまたたきにあらわれる美しさを旬という。
「人生の四季」にあらわれる旬がある。私たちではコントロールできない旬だからこそ、そこに飛び込んで楽しむ、味わうという勇気や軽やかさが私たちの人生をより味わい深く豊かに彩ってくれるのだと思う。
「重い腰の人に強運な人はいない」これは本当にそうだと思う。そして時代は益々重い人を置いていき、軽い人はより遠くへ高く、違う景色へと上げられていくと確信する。

・若者から学ぶ。
若者バンザイ。若者と関わる機会をもっと意図的に増やしたいと思った。
え。若者って言葉選びがもはや古臭い。笑

さて。長い記事になった。
最後は東京の下町で生まれた、東京名物もんじゃ屋さんの挨拶で、下町っ子ぽく終えたいと思う。

次に行く準備はできました!

「あいよ!」