手に入れるより手放すことの大切さを教えられているので(今も)、
それを書いている記事です。
私たちは、人生で何を手に入れるかにとらわれがちである。
手に入れたもので自分の幸せを測ってしまう。
実際、私たちはたくさんのことが与えられ、
その中で成長し、感謝し、
そして自分も誰かが何かを手にいれる助けとなりたいと願い、
力を発揮していく循環がある。
でも、すごく思うのは、与えられたものを特別なものとして
大切にしすぎるのでもなく
当たり前のものとしてぞんざいにするのでもなく、
時に手放し、距離をとることの大切さだ。
ある友人が、変な恋愛関係を続けていた。
「自分は将来結婚がしたい。でも今付き合っている相手と性格が合わず
将来は考えられないから別れようと思っている。
けれど別れたら寂しくて後悔するだろうから別れられない。
相手には申し訳ないから別れるべきだけど、
自分にとって都合がいいし居心地がいい。
恋人がいる方がいないより、つまんなくない。
でも別れた方がいいことは分かってる」
という状況を3年くらい続けていた。
数ヶ月じゃなく年単位、
10代ではなく30代でこの恋愛、という事実に驚く。
この発想と関係とその時間そのものが後悔の対象になると思うのだけど、
「別れたら後悔する、なぜなら自分が寂しくなるだろうしつまんないから」という、
至極利己的な先立つ後悔の理由と歪んだ孤独に、私は言葉がなかった。
恋愛でこのように自分の利益のために人と付き合うことを
3年も続けられる人種に私は出会ったことがなかったので、
話すたび理解に苦しみ、何と言ったらいいか本当にわからなかった。
そしてその友人の恋人も、マトモではないのだと察した。(フツウ、そんな利己的な男はこっちから願い下げだからだ)
この友人にとっては一緒に過ごす恋人が、
どんな存在/関係であるかよりも
「恋人がいる」という自分のステイタスに依存しているのが、わかる。
そしてその依存によって、
自分の感覚を鈍らせ、自分の本当の幸せや
本当の願いを叶えることを、自分で遠ざけているのもわかった。
しかし例えるならば、本人は何か気配には気づいてはいるけれど、
はっきりと認識していない、「盲目」であるように思った。
上から目線ではなく、心底、可哀想だと感じた。
私たちは何かを手に入れている=幸せであるという錯覚を得やすい。
仕事、子供、配偶者、住居、経験、学歴、環境、
財産、恋人、地位、名誉、権力、能力、時間、容姿、、。
事実、前述の通りそこから得られる豊かさによって感謝が生まれたり、
人格が養われたり、人に出会い、様々な機会を得たり、
人に助けられたり、役に立ったり、
という素晴らしさを経験するということは根底にある。
(手に入れているという表現は、
必ずしも自分が所有しているということではなく、
「自は何者か」を説明する上で表す要素のことでもあり、
それによってアイデンティティ(自己認識)を形成していくものでもある。)
けれどもそれらは、
「自分自身=自分の芯をつらぬき決して揺るがない、
一貫性のあるもの」ではない。
で、本題はここからだ。(おそ)
人は似たものを引き寄せるという。(量子力学の話、引き寄せの法則の話は、また今度…)
私は思った。
「なぜこのタイミングで、私はこの友人と出会い、
この話を何度も何度も聞かされているんだろう?
学ぶことはなんだろう?
友人の問題ではなく、私個人に対するどんな教えやメッセージがあるのだろう?」
当時、こう思った時、私の中にある明らかに手放すべきこと、
離れるべきことをここでもまた認識した。
それは、自分がとても大切にしてきた
立ち上げた仕事への思いを手放し、物理的にも離れるということだった。
ーつづく。
(ぁの〜、その理解不能な恋愛と私の仕事に対する思いを
同じにしてほしくないんだけどさ。笑
大枠でくくると同じなのでしょう、1,000歩譲って。←)