全然明けてもなく、めでたくもない年末年始のどん底から1年。
適応障害で、このままだと長期不安障害になると思い、退職。
控えめに言って、元同僚の自分勝手で人を平気で傷つけても気づかない
極度の利己的な事柄の数々に疲弊し混乱していた。(詳しくは前の投稿を。)
「悔い改め(神に向き直って気づくこと)は神様の領域だから、
彼が悔い改めるのを待つしかない」と
信仰のある先輩に言われ、余計に混乱した。
え、そりゃそうなんだけども。
一般常識に基づくと、誰かが誰かを傷つけたり、間違ったことをしていたら
それに気づかせるよう促したり諭したり、何かしらきちんと働きかけるのに。
聖書的解釈では、悪いことをし(続け)ている人をゆるすことがベースにあって、
その他のこと(傷ついた人の心や、カオスな状況の整備)は、
放っておかれ、後回しなのか?と。
こういった周りの、不誠実で傍観的と思わざるを得ない対応を経験し、
それらも含めて私は、この1年間、信仰とは何か、信仰者とは何かを本当に考えさせられた。
結論は、別の記事に書くとして、どん底でスタートした1年前から今、
どうあるかを記しておきたい。
プライベートなことを数々含むので、詳細は端折るけれども、
自分が精魂込めて立ち上げた団体だったけれど、そこから去って本当によかった。
少しでも自由になって本当によかった。
そして長年、歪んだ聖書観が植え付けられ、それに縛られていたことにも気づいた。
(スコトーマの記事が関連する)
この大部分は自分の思考習慣や過去の経験に基づくものも大きく起因しており、
そこからも激しく学んだ。
6月、個展をさせていただいた。
それに向けて絵を描く中で、本当に私自身が油彩を描くことで癒しを経験し、励まされた。
背後でたくさんの方々が祈ってくださっていたことを実感した。
1月から6月は、本当にひたすら描いていた。とても心地よく幸せだった。
表現することの純粋な楽しさと、これを誰が見てくれるんだろうという、
未知な出会いを期待するあの感覚は、
制作している時にしか味わうことができない、特別なものだと知った。
7月以降は、海外への助成金の募集に応募していた。
慣れない英語を読み、英語でCV(履歴書)を書き…。
自分が自分を助けなくっちゃ、脱出させなくちゃという感覚があった。
10月、すぐにでもある国にインターンシップをしに行かないかと言われた。
その配慮がすごく嬉しく、それだけでかなり大きく期待と癒しが与えられた。
12月、新しい仕事が与えられ、面白い世界があることを知った。
いろんな仕事があるなあと。職業に基線なし。一つに固執しなくてええやん、と。
夢がある人たちとも多く出会い、人との出会いって、本当に不思議で尊いなと思った。
自分の社会復帰のリハビリにはとても良い機会だと実感している。
また、今まで顔見知りだったあるコミュニティの人たちとも話すようになり、
その時間も楽しみで、交流が広がっていることを感謝している。
そして来年、新しい仕事をしようとお声がけを頂いている。
親友とLINEでチャットをしていたとき、
「1年前はこんなふうになるなんて思ってた?」
と聞かれ、迷わず出てきた答えは、
「こうなると思えなかったけど、必ず上向くと信じてた」
だった。
自分の心も体も元気になり、前というより上を向き、
物心両面において上昇していることが、ただただ嬉しい。
「働きたい」という思いがまた芽生え、
「仕事が与えられている」という両方の状況を
心から感謝している。
これって当たり前のことじゃないなって。
来年はもっともっと絵を描き、発表していく、
絵本も作って出す。
仕事のオファーを生かして、これまでの経験を活かした仕事もやる。
海外に行きたい出たいと言っているけど、それは私の本心かな?どうだろう?
移住とかじゃなくて、旅行で沢山の国に行けたらベストっていつも思ってるから
その実現に近づきたい。
全てのチャンスに対し、感謝しそこに賭けて取り組んでいく。
そして、黙ってすごく支えてくれている母に、
2023年、心からの感謝のMVPを贈りたい。
「全身全霊で自分の人生を立て直す」と宣言した1年前の私へ、
これからは軽やかに、でもこの宣言は活かしたまま、
最良の人生を生きていこう。
必死になって与えることより、ただただ、感謝して受け取り満たされながら。
昨年とは真逆で、感謝いっぱいに2023年を締めくくれることを
全方位に、心から感謝します。