ゆるしと正義と女性たち

今年1年を振り返ると、この1年は自分に対する学びと
その収穫がとても多かったとすごく思う。
昨年の今頃は、適応障害(原因が明確な鬱症状。鬱病ではない)を
既に発症しており、年明け以降も記憶がない。
信頼し長年共労していた友人が
驚異的な自己中心的人格者であると認識し、
長年の忍耐の緒が切れ、これまでの自分の選択は正しかったのか、
本当に私の信じている神の真理に則しているものを行なっていたのか、
甚だ不安になっていた。

この件については、spiritual abuse という部類に属する話で、
日本ではまだまだ取り上げられてないし
今後も扱われるのが難しいハラスメント(虐待)に関する話です。
(旧統一教会で話題になっていた人々の苦しみは、これに該当する。
決して、人間関係の問題ではなく、被害と加害の問題であることを覚えてほしい。)

いわゆるパワーハラスメントと掛け合わせて、人の純粋な信仰心を利用し、
自分の利益のために人を動かそうとする人が存在する。
本人は「自分の利益のため」ではなく、神の栄光のためだとか、
人様の役に立つためだと表明している。
しかし、苦しむ人の存在を見て見ぬふりをしたり、
自分の正当性のために事実を捻じ曲げ平気で嘘をついたり、
善悪ではなく自分の損得で物事を判断し、過大な評価を求め、
人の気持ちより目標の達成や利益追求に走ることから、
究極的な利己的であることは明白である。

私が、いち福音信仰者として、このような経験をしたことを
こうして不特定多数(ぁえ?少数?笑)に発信し、
文章に残すことを不快に思い、
私の信仰やモラルを疑い否定する方もおられることだろう。
「人間として未熟である」「まだゆるせてないんだ」
「さっさと忘れなよ」「痛々しい」とかなんとか。

私は、そのようなご意見に対して真っ向から反論する。
(現に、「彼をゆるしてください」とか
「人や教会を見たらあかんよ。神様を見んと。」とか言われたけれど、
すごく的外れな助言だ。)

性被害に遭った伊藤詩織さんが、実名で顔も出してその事実の酷さ、
また検察や警察の不当な扱い、
この世界の傍観的不条理に対し異論を訴えたとき、

多くの人が彼女に対し

「悲劇のヒロインだ」とか
「だったらあの時もっとこうできたでしょ」とか
「無防備だったからいけなかった」とか…
もっともっと酷い言葉をかけて彼女をより一層苦しめた。
(これをセカンドレイプと言う。)

またあるいは、旧統一教会問題で矢面に立った小川さゆりさんは、
不当さを発信し、同じように苦しむ人を救いたい
もうこういった宗教は無くして被害者をこれ以上増やしてほしくないと強く願い、
ただその純粋な思いだけでメディアに出ていた。
けれど、売名行為だとか(一般人で仮名の彼女が何のために売名するのよ?)、
悪魔だとか、これまた悲劇のヒロインぶってるなど、
散々なこと、しかも関係のない夫の有る事無い事まで言われていた。。


だ!か!ら!(大声)、だからこの世界から、ハラスメントが消えないんだと思う。

なぜ、彼女たちは苦しみを受けた純粋な被害者であるのに、
その経験を黙っていろと言われなくてはならないのか?

なぜ、黙っていることが慎ましく賢く思慮をわきまえた人格者のようにみなされるのか?

なぜ、事実を知ってもらうことで、どこかに存在するこういった被害者が
「自分だけじゃない」と思えるチャンスや存在を消そうとするのか?

なぜ、平和を求めて人々の道徳心を活気させ、
悪に蓋をせず、正義を唱える人を容易く非難するのか?

なぜ、人が人にゆるしを強要し、自分にだって非があるじゃん、と言えるのか?

これらの「なぜ」に対して一つ思い浮かぶ答えは、
人の気も知らずこういうことを平気で思えてしまう人は、
きっと、本当のゆるしを経験していないのだと思う。
ゆるされるという稀有なあわれみも、
ゆるすという勇敢な神秘も、味わったことがないのだ、と。

被害に遭っている彼女たちのしていることは決して、復讐ではない。
そんなみみっちいことのためにあんな馬力を発揮し、
人生の多大な時間を費やす犠牲は払えないだろう、どう考えても。
ゆるせていないとか、そんな次元ではない。
社会に対して、人間の公正と平等と平和と正義を訴えたい、
と言う切実で強固な情動があるのだろう。

私はこのような人々の犠牲を伴う正義を考えるとき、
そこにこそ、神の真実さを見る。
ゆるしの神である一方で、そのゆるしが深ければ深いほど、
正義は真っ当で正しいはずであり、それを徹底的に示されるのが神であるはずだ。

今、香港人の周庭さんが香港当局から指名手配をされている。
彼女の場合は暗黙の被害者であり続けている。
言論の自由と真実を社会に訴えて非難され、犯罪者扱いをされ、亡命するなんて。

そして、どの人たちも女性である。(故意的に女性をピックアップしたわけではない。)
古来から続く、歪んだ男尊女卑思想は、罪と共に人間に組み込まれたDNAのようである。


…この記事の結論は、私が受けたことや感じたことも、
地味に地道にここに記していく、その表明です。
なぜならとても衝撃的な経験だったので。
同時に誤解されやすい事実だから、自分の活字で残しておきたい。
そして願わくは、同じような葛藤を持つ人の目に、いつか留まることができたら。。。

それから、福音信仰者として、
間違っていた自分の大きな罪についても記していきたいと思う。
読んでくださる方々と、ただ純粋に信仰とは何か、
信じるとはどんな意味を発揮するか、
そしてそれを守り生かすことは何なのかを分かち合いたいと願っている。