後悔する、ということ

人は後悔しないように、あらゆることを選択する生き物だと思う。

ただ、それを意識して生活している人は少ないし、それにとらわれていたら、何にもトライできない強弱の無いつまらない人生になる。

たとえ後悔したとしても、自分のこの行動は間違ってはいないはずだ、極端に言うと死ぬことはないはずだ、無意識の中でそう判断して、あらゆることを選択している。

わたしはそもそも、「後悔したくない!」という気持ちが強い人間だと思う。
何とも傲慢で身の程を知らない臆病な愚か者だろうと思うけれど、でもそれがわたしの気質だ。その気質が必要な時も大いにある。(ビジネスでいうリスクヘッジはこの概念が重要であるし、元を辿ると生命維持のために思うセンサーでもあると思うし、みんなベストな選択でベストな結果を臨むわけで。)

ただなぜ、後悔したくない気持ちが強いと愚かだと思うかというと、
人は知らない間に悔やむべきこと、自分を省みるべきことをおかしているからだ。
ひとさまから見たら「えー…」と思うことを、自然とあるいは習慣や惰性でやっていることは誰にでもあると思う。

全知全能でもない自分が、間違えないわけがない。
気づいていることや見えていることなんて、世界の一部の中のそのまた一部だから。

後悔する度に、新たな視点を持って学ぶことができるんだ、と謙虚に思っている方が、
後悔したくない!と不可能なことに虚勢を張るより、ずっと柔和で素直な生き方だと思う。
後悔することからは、必ず学ぶことがあるから。

わたしの大好きなサッカー選手の長谷部誠さんが言っていた。

「後悔ばかりですよ、僕の人生。あの時あの選択をしてたら今どうなってたかな。
良いパス出せたのに何であの瞬間に出せなかったんだろう。あの時シュート打ってたらよかった。
そう思う事ばかりですよ。仕事でもそう、恋愛でもそう、家族とのこともそう。
小さな選択だと思ってたことが時に大きな後悔という結果を生むことだってありました。
でも、だからいいんです。後悔が僕を育ててくれた。後悔するから強くなれるし知恵がつく」

かっこいいな、その通りだなと思った。

(「後悔している」そう言える人は、開き直っているというよりも物事の本質に迫って向き合ってきたのだと思う。)

選択するとき、それを後悔するかどうかなんてわからない。
どれだけ最善を尽くしたり、善意を持って誠実に取り組んでも、
結果を見た時には後悔することだってあるかもしれない。

もし、私たちの人生において後悔することがなかったら、
どんなに乾いている人生を歩むことになるのだろう。
自己満足的で、すべて自分の中で正当化して完結してしまう、寂しい人生になるのではないか。

後悔には恥ずかしさが伴う。
傷や痛みが劣等感を生む。

それでも、
恥ずかしさを知るから、心を改めることができる。そこから行動が変わり、周囲との関係性が変わり、関わる人が変わり、人生そのものが変わっていく。
その謙虚さやへり下りは、生きる上で、すごく重要。

傷は残るが、癒えない傷はない。
痛みは苦しいが、一生は続かない。

後悔することは、教訓として人を成長させ、人生をも励ましてくれるものなんだ。

2014 秋

昔のブログに書いたこと👆、2023年秋、今の自分もそう思う。